親の不安は子供の不安定?

  • 2015.05.18 Monday
  • 10:54
腹ペコな思いに駆られてカレーを勢いよく食べて
半分まで食べたところで腐っていることに気づき、

ハウァ!!!と怖じ気づいていると、
みぞおちあたりが痛く、両手がビリビリ痺れて力が入らなくなり、
頭がフラフラしてきたんだけど、
それでも子供達と遊びまくっていたら、
いつの間にか大丈夫になっていた。

腐敗カレーにも負けない腸内細菌を育てている山下です。



さて、
お子さんの不安定な状態でご相談頂くことも少なくないです。

ある音に対して過敏な反応を示し、
なんだか様子が普通じゃないので不安を膨らませて
親御さんがご相談下さるケースです。


たいていの場合、
初めてのお子さんで、お一人目の育児中だという方がほとんどです。

お一人目のお子さんで、子育てが初めてであれば
親としても全てが初めての連続なので、何ごとも不安になりやすいかと思います。

だけど、お子さんをしっかりと観察していると、
笑って普通に過ごしていることも多く、
実際には大丈夫な時間の方が圧倒的に多かったりします。


逆に、親の不安が子を不安定にさせてしまうことも多いので、
あまりネットばかり見て不安な情報を
引っ張ってこないことが大切だったりします。

そんなときの原因の大半は、ネット中毒にありますから。

なんかあったらすぐネット検索。って。


脳の1つの働きは、ネット検索と同じで、
自分の当てはめたキーワードにそった物事しか捉えません。

不安な思いでネットを利用しているならば、
無意識のうちに不安を煽るようなページしか見ないようになっているのです。

それではどれだけ情報収集しても、
不安にまみれた考え方しか身につかず、
落ち着かない状態になるばかりです。


そういうときは、
むやみにネットや子供の発育に関する情報を収集しない方が
どれだけ健全になるかということもあります。


お母さんが、冷静で落ち着いた日常を過ごせますことを願います。








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親の影響力

  • 2014.11.01 Saturday
  • 11:47
いつも有り難うございます。

バンビーノ・ツヨシです。


お子さんの耳のトラブルのご相談もよく頂きます。

電話やメールを頂くのですが、
その文章から脈々と伝わるもの。
電話の声のトーンから脈々と伝わるもの。

一目見ただけで、
一声聞いただけで、

ブワァッという、なんとも言えない重〜いものが
僕の方に迫り来るのが感じられることがあります。



僕の施術がお子さんの問題を解決したり
症状を治すのではなく、
あくまでもお子さんの意識が現象を突破していきます。

そのためには、
周りのサポートが必要になります。

そのサポートで一番重要なのが
「親の存在」なんですね。


お子さんにとって、もっとも必要なものは
おそらく「自信」ではないかと思うのです。

自信の喪失は伝染するものです。

だけど、自信は与え、受け取ることで復活もします。

親の「自信の欠如」が、
そのままお子さんに伝染していきます。

逆に、親の自信の復活こそが
お子さんの自信へとつながり、現状を打破していく
キッカケになるかと思います。


なので、お子さんにとって、一番身近で、一番関わりが深く、
影響力のある親が、根本的に、目の前の現状に対して自信を持って
受け止めていけるようになることが求められているのではないかと感じます。


僕がお子さんに施術を通して、
自信を与えることは可能ですが、
それも一時的な効力です。

家に帰ってからが本当の日常ですので、
不安にまみれているお子さんは、また元の習慣に
戻りやすくなると思います。

なので、根本的には、
お子さんよりも、親がそばにいて
お子さんに自信を与え続けることが出来るようになることこそが
最も重要ではないかと思います。


僕は身内に精神疾患を患っていた者がいて、
それで何十年と悩んできた経緯があります。

だけど、通院する当の本人が病気で苦しみ、
当の本人の問題だとばかり思っていましたが、
本当の問題は、その周りの家族にある(ここでは僕自身)と、
気づいたとき、僕自身の性根を正して、心を見つめる日常に徹したとき、
身内の精神疾患は治まっていきました。


人は一人ではいきられないというのは、
まさにそういうことで、周りの価値観に左右されやすく、
それによって、ものの見方・感じ方も形成されやすいんですね。

「みんなが一人のために、一人がみんなのために」
というようなことを聞いたことがあると思います。

子供の悩みを分離して考えずに、
「私自身が原因なのでは?」
という視点に立って見られるようになったとき、

自分自身が与えていた影響を変えて行く
チャンスに恵まれるようになるのではないかと思います。


特に子供は、まず第一に親の価値観によって生きやすいですので、
それだけ親の存在は影響が大きいと自覚して見つめて行くと、
親自身が、自信を携えて、それを子供に伝えていくことが
どれだけ大切かということが見えてくるかもしれません。

親が不安をつかんでいれば、子も不安で生きるようになる
ということですね。







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失敗こそ成長のもと?

  • 2013.06.28 Friday
  • 10:44
いつも有り難う御座います。

イタズラをたくらんでいる時って、物凄くワクワクする山下です。



365日休み無しの主婦業はとても大変です。

中でも、育児って、どんな仕事よりも奥が深くて大変ですよね。

人の子が泣いていても気にならないのに、自分の子がわけもわからず泣いてダダをこねていると、腹が立ってきたりすることもあります。

魔の二歳児とか魔の五歳児とか言いますよね。


言葉が話せないときは、子供は泣いて表現するしかありません。

意思の疎通が上手くいかないと、余計にぐずります。


普通に会話ができるようになった五歳児でも、深く考えることはしません。ただ感情と態度と言葉が直通なので、浮き沈みも激しくこれまた大変です。

小学校に上がってお友達との関わり合いの中で、毎日毎日いろんな出来事が増えてきます。

○○ちゃんにいじめられたとか、○○ちゃんがこんなことしてたとか、ケンカして仲が悪いのかと思いきや、次の日にはメチャクチャ仲良しになっていたり。


肩に力が入って育児にマジメに取り組んでいるお母さんは、毎日の激流の変化に翻弄されっぱなしです。

「まぁ、こんなもんやろ」って思えたらいいのですが、そうもいかないお母さんも多いですよね。

我が子となると、将来のこととセットでいつも見てしまうからでしょうか。

今がハチャメチャな感じだと、もうずっとこのまま大きくなるのではないかと心配で仕方なくなりますね。


でもですね、そんな悶々とした育児の日々も、あるとき、一気に肩の力が抜けるときがやって来ます。

それは、やっぱり子供の成長に気づいて肩の力は抜けていきます。


あれだけ出来なかったことも、今は普通に出来るようになっていたり、毎日葛藤ばかりを見続けて気づかなかったけれど、ふと客観的に見つめたとき、だいぶと自分のことは自分で出来るようになっていることに気づくときがやってきます。

そのときに、「常に変化し続けている」ということを受け止めていきましょう。

ずっとそのままではないんだということに。

怒られるようなことばかりするのも、失敗ばかりするのも、それは成長には欠かせない経験ですからね。


失敗しないようにとレールを敷き詰めすぎて、大きくなってから「私にはもっと他に進むべき道があったような気がする」なんて言われたら悲しいですもんね。

いろんな失敗を通して、自分で道を選択できるように見守っていきながら、親自身も一緒に経験して成長していくものなのかもしれませんね。

成長

個性

  • 2013.02.26 Tuesday
  • 20:03
いつも有り難うございます。

まだまだ寒い日が続きますね。カモノハシペリーな山下です。


うちの長女が通う小学校から、あるアンケート用紙が来ていました。

担任の先生やその他の授業を受け持つ先生の名前が書いてあって、色んなチェック項目が並べられてありました。

つまり、「教え方はどうですか?」とか「先生の教える態度はどうですか?」とか、参観日や子供から聞いた状況を照らして合わせて、先生の評価をして下さいというようなアンケートでした。

しかもそのアンケート用紙の下の方を見ると、ご丁寧にもちゃんと長女の名前が印字されておりました。

これで正直に書けとな?(苦笑


そう言えば、学校からのお知らせの中に「子供達の個性を伸ばし、生きる力を育んでいく」みたいなことが書いてあって、ちょっと僕なりに思うことがありました。


そう、それは「個性」


個性って、もしかしたら、既にその存在そのものが個性なんじゃないかなと思ったわけです。

3人の娘達を見ていても、それは「明らかに」別々の人間(人格・人生)だと思うからです。

同じ親、同じ言語、同じ親心、3人とも同じように一緒に暮らして来たはずですが、3人ともまるで性格が違いますもん(笑


いつかの記事で、存在の全ては1つのものから立ち現れて来たのではないかと書きました。だから、根っこではみんな同じ。

そして今現在も、地球や宇宙の物質をそれぞれに共有しながら人は生きていますから、みんなつながっているのだと。本当は別々ではないのだと。


しかし、根源的なものや本質的な事は普遍でつながりあっているとしても、それでも存在の全てを「あえて」別物であるように生み出しているのが、この世界ではないかと思うわけです。

人という存在がコピーロボットのように同じであるならば、ちょっとした違いを見つけて、それを際立たせるように種分けし、引き延ばしていくことが大切かもしれません。

けど、同じ人間など一人としていないわけですから、もう人として生まれた時点でそれは「個性」なんだと思うのです。

だから個性を伸ばすもなにも、既にちゃんと分かれているやんって話しですよ。


じゃあ何が子供達には必要か、あるいは生命の目的は何を私たちに求めているのか。


それは自分の体を見ていれば分かるような気がします。

つまり、体の個々の部位は、それぞれのために活動し、命をつないでいますよね。


心臓は心臓自身のために動いているわけではなくて、血液をカラダ全体に行き渡らせるためですよね。

肺は肺のためではなく、豊富な酸素を血液にあげるため。

足は上体を支え、手は痛いところを撫でてくれる。目は・・・耳は・・・口は・・・脳は・・・


それぞれは「個」自体のために活動しているわけではなく、「個」以外のもののために動き、その活動が結局「個」に返ってきて「個」は生かされている。


そう考えると、すでに個性を持って生まれてきているこの子たちに求められるのは、決して自分の個性をより際立たせるために生きることではなく、自分の周りのつながり、人とのつながりの中で「相手を知る」ということに尽くしていくことではないかと思うのです。


相手を知るということは、「相手の考え方を理解する。理解につとめる」ということなのかもしれません。

そうやって相手を知ることによって、自分を知っていく、自分のことが分かっていくのではないかと思います。

想像してみてください。

逆にもし、自分のことしか考えない人だった場合を。ヤな感じでしょ?(笑


なので、相手のことを理解しようと心がけるということは、相手の立場を認める(受け入れる)ということでもある気がします。


そう、「認める・受け入れる」

人は受け入れられ、認められることによって成長していきますよね。

自分が認められることによって、相手にも優しくできる。

相手のために尽くそうとがんばれる。

それが再び、相手を認める姿勢を維持していくことにつながり、この循環がまわり全体を円滑に動かしていくのではないでしょうか。


認め、受け入れるからには「決して嫌なことにもYESと言え。NOと言ってはいけない」ということではありません。

相手の考え、存在を認め受け入れることによって、自分自身の立ち位置を知る事が出来るということです。

「こういう考え方もあるんだ」と認めることによって、自分の考えが明確になり、自分はどこに行けばよいのか、何をすればよいのかが分かってくるということだと思うのです。


だから、自分の個性なんか気にするなと子供には言ってあげたいですね。

それよりも、自分の周りのお友達の考え方によく耳を傾けて、何を言っているかをしっかりと聞いてごらん、と。

そしたら自然と、自分のやることも見えてくるでしょ。


そんなことを感じました。

子供達

【追記】

いつもお世話になっているT社長から、この記事に関してとても大切なコメントを下さいましたので、以下に転載致します。(以下、T社長のコメント)

相手のことを知る、受け入れる。それは大事ですね。自分の個性を気にしないで自然に生きていく、これも大事。

ただ、気になるのが最近の教育現場で聞く話。個性を目立たせないようにしているとか何とか。たとえば、かけっこは競争ではなく、みんなで一緒にゴールインだとか、劇はみんな主役とか。えええ?と思うのが多すぎません?
私のような聴覚障害者なんかも、幼い頃に失聴した子供の場合は聞こえる子供と同じように見えるように、発語、読話の練習をさせられて。とにかく「普通」の子供のように振る舞えるように、ということを強要さ
れます。うちの父親でも未だにそうですし。「聞こえないことも個性」という考え方とはほど遠い人なんですよね。手話使うのもいやがりますから。

だから、個性を「気にしないでいい」というよりは、「卑下しなくても良いんだよ」と言ってやりたいですね。かけっこが遅いから気にするのではなく、かけっこが遅くても、君にはこんなすばらしいところがあるんだよ、と。

山下先生のおっしゃっている言葉間違いだというのではなく、私ならこういう言い方をしたいというコメントです。おっしゃりたいことには共感しますし、その通りだと思います。表現の違いですね。はい。



言葉は慎重に選ぶことが大切ですよね。「気にしなくていい」というより「卑下しなくていいんだよ」というのは、その子の状況を汲み取りつつ、次のステップへと向かわせる励みになりますね。とても暖かい言葉に感じました。

子離れ

  • 2013.02.10 Sunday
  • 15:11
いつも有り難う御座います。

過去に生きる男、山下です。(意味深...この件については、また別の日に



さて、本日、初めて休日にブログ更新です。

いま何をしているかといいますと、リビングで嫁さんが看護の勉強をしているその横で、パソコンのキーを叩いています。

一番下の子は寝かせて、上の子二人は公園に行っています。


これ、実は今までではあり得ないことなんですね。

上のお姉ちゃんは小学3年生だからまだいいのですが、真ん中の子は年中さんなので、子供だけで外に出すということをしてこなかったんですね。道路が危ないし、心配だから。

だから、公園に行きたいと言っても、今までは必ず大人が一緒について行って見ていました。


しかし、嫁さんも3人の育児をしていく中で、もう一杯一杯なところもあって、自分だけの力でこの子供達を見ているのも精神的に限界が近づいて来たんですね。


そんな気持ちで家にいてもストレスは溜まるし、みんなを連れて出て行くのも疲れていてしんどいし、母親はトーンダウン、子供もそれを見てトーンダウン、まさにストレスの悪循環ですね。


それで妻は思い切って、お姉ちゃんに次女を託して「自分たちで遊んできぃ!」と、手をつないで遊びに行かせたそうです。

自分のもとを離れて外に出すと、案外スッキリした自分もいて、なんだか肩の力が抜けたようです。


親としては、何か事故でもあったらと思うと、いても立ってもいられないわけですが、どうあがいても「なるようにしかならない」のが真実なのでしょうね。

例えば、家の中にいても、何か食べ物を喉に詰めて窒息死して死ぬ場合もあるし、何が起こるかわからない。死ぬときは死ぬしかない。それは家でも外でも同じなんですね。


であるならば、子供達は親元離れて、目をキラキラ輝かせながら楽しそうに外に飛び出すのを見て、ふと、こう思ったそうです。

「もしこのまま何か良からぬ事が起こったとしても、家の中に籠もらせて、ストレスな状態で何かの事故して死んでしまうよりも、いま、幸せな気持ちの状態で死んだほうが、幾分救われるわ」と。。。

まぁ、考えはかなり極端でオーバーなことかもしれませんが、妻からしたら、それくらい決死の覚悟で子供達を自分のもとから送り出したんだ、ということが伝わってきました。


と、まぁ、そんな風に余裕をぶっこいてこんなことを書いている僕自身も、実は子供達だけで外に遊びに生かすのを目の当たりにするのは初めてなんですよね。

妻は昨日それを自分一人で体験したので、なんだか余裕な感じがしますが、僕は初めてなので、内心ヒヤヒヤしていたりします(苦笑


このブログを書き終わったら、あとで、そ〜っと木の陰から二人の遊んでいるところを見に行こうと思います(笑

(オマエが一番ダメじゃんっ)て言わないで下さい。僕は気弱な男ですから。


母は強し!ですね。


遊ぶ

頑張らない人はいない

  • 2013.01.28 Monday
  • 20:21
いつも有り難う御座います。

「いいなぁ」と思うことはあっても、何かになろうとは全く考えていない山下です。

いま僕のやっていること、全く意味のないことかもしれないし、何かしらの意味があることかもしれない。

でも、日は昇り、花が咲くように、僕のおこないも自然摂理に基づいて「ただおこなわれている」。そんな感覚で自分を見つめています。

なぜ日は昇り、花は咲くのか。

この理由を本当に説明できる人は、果たしているのでしょうか。



さて、子供が宿題をしない。

嫁さんは、それが無性に腹が立つようだ。

僕は小さい頃から「非・宿題派」「嫌・勉強派」でしたので、娘のそんな姿を見てもそんなに腹は立たない(笑


「夫婦は鏡」「妻と夫はデコボコの存在になるようになっている」昔からそういう風に言われていますよね。

うちに来られる患者さんに、「ご主人はやっぱり性格は真逆ですか?」とか「奥さんは全然違うタイプですか?」と、よく聞きますが、まぁ、十中八九みなさん「はい!」と答えられます(笑


でも、冷静に考えてこれは当たり前のことかもしれません。

プラスとマイナスがあって、引きつけ合うようなもんですからね。

マイナス同志では引っ付きようがない。プラス同志でも同じ。


自分には無いと感じる相手の性質に魅力を感じ、引き寄せられて、互いは縁を結ぶのでしょうね。


でも本当は、「自分には無い」と感じるものも、実はまだ気づいていない「自分の内側」が、単に相手に投影されているだけだったりもするようです。


つまり、相手を見て自分を知る。

そして相手の相反する存在が、自分の本性を引き出してくれていたりするのかもしれません。


話しを戻しますが、妻は勉強しない娘を見て、無性に腹が立つ。

じっくりとその理由について話しを聞いてわかったことは・・・


「自分が好きだった勉強を、いま出来る環境にいる子供が羨ましい」

  ↑うちの奥さん、僕と正反対ですからガリ勉なんです(笑

勉強が楽しいなんて、逆に僕には到底理解出来ないことです(汗)そんな自分の好きな勉強出来る環境にいる娘が、勉強をしないとなると「もったいない」という思いも沸いてくるんでしょうね。


「誤魔化す(うそを付いてまで)勉強をしないように避ける姿を見て、また腹が立つ」

一生懸命に関わってきた我が子が、これほどまでに自分の気持ちを裏切るような行為に、自分を否定されているようで感情が駆り立てられるのかもしれません。


「その行為は、とてもじゃないが、いい子には映らない。」

「悪い子」という言葉は抵抗感があって出て来ないけれど、結局「いい子」であって欲しいという思いが、それとは違う行動に対して余計に目に付くようになっているのかもしれません。


「励んでいない姿を見ると、将来ダメな人間になってしまうのではないか、という心配もある」


まあ、他にも色々と自分の想いを言葉にしていくと、気持ちが整理されてきます。


で、語気を強くして怒りーの、涙も流しーの、それでも話し合いーの、自分の気持ちを掘り起こしーの、向き合いーの。

人の心は無形のもの。

姿形を変えて移ろい行くものですから、そのときは「そうだ!」と思えても、再び心に雲がかかります。

少し大変で根気はいりますが、それでも話していくうちに「答えのない解放」が現れてきます。


主婦で育児にドップリ浸かっている方は、「私は酷いウツになって、精神的な病気になるんじゃないか」と追い込まれる方もいらっしゃいます。

育児が上手くいかないだけでは病気にはなりません。

ただ、「認められたい」という自分の存在に対する欲求が、カラカラに乾いて満たされなくなったとき、少し注意が必要かもしれません。


育児だけでなく、仕事も何でも大変なものですよね。

でも、そこには「よくやってくれているね」「ママ大好き」「妻よ、愛しているぜよ(笑」「あなた、感謝しています」と、家族の感謝の気持ちや互いを励ます目線があれば、それはただ「しんどいだけ」で、ちゃんと乗り越えていけるはず。

理論的な解決法や医学的な治療法なんてホントは二の次なのかもしれません。

大切なことは「コミュニケーション」

専門家なんて必要ないですよね。おのおのが相手を思い、言葉をかけ続けてさえいれば、ちゃんと解決に向かう。

それでなきゃ、人類の歴史は続かないでしょう?


まぁ、そんなことを思った先週末でした。


ちなみに妻は、お受験ママではなくて「学校の勉強や宿題だけでいい」と考えている人なんですね。

昔は周りにつられて塾に通わせなきゃと焦っていた時期もありましたが、僕がこんなんですから、次第に「ま、いっか」となってきたのかもしれません(笑

しかし、宿題だけやってたらいいと言う親でも、その宿題すら「上手く後回しにしよう」という娘は、相当な根性の座った人格だと僕は見ました。

「勉強にしっかり取り組み、励む姿勢がないと、ダメになるかも」というのは全くの見当違いかもしれませんね。

だって、それだけ「勉強をしない」ということに一生懸命励んでいるわけですから、ダメになるどころか、自分の「これだ!」という気持ちが見つかったときは、ちゃんと集中できることを現しているような気がしました(笑

(これでタイトルの意味わかりました?)


こんな感じで、やる気なさそ〜に、嫌そ〜に勉強しますよね?普通は(え?みなさん真面目ちゃん?
僕はこんな感じが好きです。子供らしくて(笑
お勉強

なにしてるの? 私もよして

  • 2013.01.16 Wednesday
  • 15:42
いつも有り難う御座います。

インスタントの熱いホットコーヒーを作る際に、かき混ぜるスプーンが欲しくて雑貨屋さんに見に行きました。

治療院にはあまりモノで溢れさせるのがイヤなので、出来るだけ生活雑貨的なものは置かないようにしています。

だからスプーンもデスクの引き出しにしまえるような携帯スプーンが欲しくて見に行きました。

お箸の折り畳み携帯サイズはよく見かけますが、スプーンとなるとどうかな?

しかし、同じ事を考える人はいるもんで、ちゃんと折り畳みの携帯スプーンも売っているんですね。

僕が見つけたのは、先っぽを箸やスプーン、フォークに取り替えることが出来る万能のモノでした。これなら一石三鳥ですね。

でも、ここでふと考えがよぎります。

こうして取り替えることが出来る関節の部分は、使うほどに弱くなって、すぐに壊れてしまうのではないか?と。

箸でご飯を食べるときは、結構圧力がかかります。スカスカの割り箸なんかだとポキンッと折れてしまうこともありますよね。

だから、こうした接続タイプは、この関節の部分から折れてしまうのではないかと。

そんなとき、ふと横に目線をズラすと・・・・

ジャーン♪
箸2

つなぎ目無しの1ピースものがありました。

片方はお箸で、反対側はスプーンとフォークに分かれています。

ちょっと見た目はダサイけれど、バラバラにかさばることを考えれば、これなら機能的であり、かつ、丈夫そう。

早速こちらを購入し、翌日から使いました。

使ってみてわかったのですが、手の小指側が筋肉痛で痛くなりました。

なんと、箸を広げるときに、フォークとスプーンのところが当たって非常に開きにくいではありませんか!(汗
箸1

アイデアとしては最高だったのですが、ちょっと訓練とコツが必要なコイツをゲットしてしまったようです。。。

まあでも、ぼちぼちと使い倒していきたいと思っている、そんな山下です(前置き長っ!!



さて、長い前置きはこれくらいにして、先週は家庭内でも一つの不安事がありました。

それは長女が「学校に行きたくない」と初めてこぼした出来事でした。

そしてその日は結局学校を休みました。


妻がじっくりと娘の話を聞いてくれて、何がイヤなのかが見えてきました。

ようは「友達と一緒に遊べなくて、休み時間になると独りぼっちになる」ということでした。

思い返せば、引っ越しを繰り返して長女には可哀想なことを沢山させてきました。

慣れた友達もいただろうに、引っ越してまた新たに友達作りに励まなければなりません。

小さいウチはハードルも低くて何とかなったものの、長女は小学3年生になってだんだん「気を遣う」ことも覚えていきます。

僕としてはまだ小3なのに!?という感覚でしたが、そこはこの子の性格や成長の段階もあるのでしょう。

仕事から帰ってきてから、そんな出来事を聞いて僕は考えました。


今でこそ社会の怖さを知って萎縮し、激しい人見知りな性格になった僕ですが、小学校の頃は、それこそ怖いモノなしの無敵のヒーロー気取りで生きていました。

初めて会うお友達にも物怖じせずに、ガンガン攻めの姿勢をとっていた僕。

だからこそ、いつの間にか友達の輪が増え、何の気遣いもなく走り回っていたあの頃。

そんな小さい頃の自分をじっくり思い出しながら、いま目の前で長女がお友達との付き合い方で悩んでいるのを聞いて、「どうすればいいか」を考えました。


「人間関係とは・・・」なんて難しいことを言っても仕方ありません(笑

僕は小さい頃、なぜあんなに無敵のヒーロー気取りだったのか?

簡潔に、わかりやすく、一瞬で落とし込める何かがあったはず・・・



そうだ!


僕はピンときました。

それは単純に、相手に問いただすということでした。


「なにしてんの?」

たったこれだけのことです。

気になる子、話しやすそうな子、友達になりたいなと思う子に近寄って、「なにしてんの?」


たったこれだけの言葉を相手に告げるだけなのです。


長女は、相手の気持ちがわからないから、何を言っていいのかわからないと言っていました。

そんなことわかるはずもないのです。相手の考えていることなんか、見ただけでわからなければ、なんて思う必要ないのです。

わからないんだから、ただ単に聞けばいいだけなんですね。


だから教えました。

「ええか、これを言うだけやで。」

『 なにしてんの? 』


「ほんなら、そのお友達はやってることを言ってくれるから、次にこの言葉を言うだけやで」

『 よして 』 ←方言です(仲間に入れてって意味ね)


「ほんでな、またすぐに次の言葉を言うねんで」

『 私もやる 』


「たったこれだけやで」

『 なにしてんの? よして、 私もやる 』


「ほれっ、練習や」

『 なにしてんの? よして、 私もやる 』

「もいっちょ!」

『 なにしてんの? よして、 私もやる 』

「あらよっと!」

『 なにしてんの? よして、 私もやる 』



かくして、その日の夜はこの3つの言葉を号令のごとく唱えました。

「これはおまじないやからね」ということで、本人も笑顔で覚え、「明日、言ってみる」と言って元気が出てきました。



翌日・・・


仕事から帰ってきた僕は、「どうやった?」と聞くと、「友達と遊べた!」と楽しそうに教えてくれました。

翌日から、ウチには数人のお友達がやって来て、みんなで遊んだそうです。

そのまた翌日も、学校の休み時間になると、みんなと一緒に遊んでいるそうで「学校楽しい」と言っていました。



子供って素直ですね。

大人になると、なかなかこうもスムーズにいかなくなることも多いかもしれません。

でも、1つ言えることは、「相手に興味を持ち、言葉をかける」たったこれだけの基本さえ忘れなければ、寂しい思いは少しは減るのかもしれません。

誰にでも、相手に自分を認めてもらい、良き評価をされたいといった思いは根底的にあると思います。

そのためには、まずは自分が相手に興味を持ち、言葉をかけ続ける。

その行動が互いを引きつけ合い、惹かれ合い、自然と豊かな人間関係を広げていくのかもしれません。

待っているのではなく、自分から。


娘からそんな基本を思い出させてもらえた気がしました。

子供達

時の幸せを得る

  • 2013.01.09 Wednesday
  • 16:28
いつも有り難う御座います。

正月に引いた僕の風邪に感染していたらしく、とうとう一番下の子が発病してしまったことを心苦しく思っている山下です。あぁ、可哀想に。。ゴメンよ。。。

こうやって順番にこの風邪は家族中を駆け巡っていくんですかね(汗


さて、以前、何かの番組を見た妻に聞いた話なのですが、、、

とある家庭内で、母親は子供に向かって「勉強しなさい!勉強しなさい!」と、こんこんと勉強を促していたそうです。まあよくある光景ですわね。

そして子供は「なんで勉強しなくちゃならないの?」と、母親に尋ねます。

母親は「いっぱい勉強して、いい学校に入るためよ」と答えます。

子供は「いい学校に入ったらどうなるの?」と尋ねます。

母親は「いい学校入って、いい会社に就職するためよ」と答えます。

子供は「いい会社に就職したらどうなるの?」と尋ねます。

母親は「いい会社に就職して幸せになるためよ」と答えます。


子供は「ん゛〜」と少し考えてから、こう答えます。

「でも僕、勉強してて幸せじゃないんだけどなぁ」と。


ハウァ!!って思いません?(笑


何のために勉強していい会社に就くか。

大人からの世間一般的な価値観でいくと、安定的に稼いで物質的に豊に恵まれれば、それはそれで1つの幸せの形なんだという主張があります。

でもねぇ、ですよね?

よくよく考えてみると、いいとこ行って大金稼いで生活が豊かになったとしても、病んでる人、たくさんいますよね。最近の社会ではそういったことが如実に表れているかもしれませんね。

そんな荒んだ大人社会を見て、今の子供達は「大人になりたくない」と言います。

これだけ選択肢がある世の中になったのに、「何もやりたくない」「やりたいことが見つからない」という子供が増えています。

頑張って頑張って、自分が上に立つことを目指してライバルを抜き去り、それでも社会に出ればドンヨリとした生活なんだとしたら、そりゃあ夢も希望も湧かなくて当然かもしれませんね。


この子供は「勉強してて、僕は幸せじゃない」と言いました。

このお母さんが教えようとしていたことは「幸せになるための勉強」でした。そのつもりでした。

でも、させられる勉強からは「幸せなんか感じられない」と子供は感じているんですね。

つまり、何が幸せなのかが学べていないということです。


ようはお母さんは大人としての幸せを子供に教えたかった。

でも子供は子供、大人の幸せなんかわかるはずもない。

ということは、このまま「幸せとはなんたるか」を知らないまま、大人になって、大人になってもまだ幸せを知りませんから、そこでようやく「これで本当にいいのだろうか?」という疑問に変わります。

そこから自分探しだの、幸せを求めてだの、大人になった今頃になって、子供のように羽を広げて旅立たなくちゃならなくなるのかもしれません。


きっと、子供の時は子供の時に学べる幸せがあるんでしょうね。

その幸せはやっぱり、その子それぞれに「うわぁ♪」というハッピーな感情としてあらわれ、熱狂的にそれだけに励んだりするんでしょうね。

遊びに夢中になる子もいれば、野球に夢中になる子もいるし、ピアノに打ち込む子もいれば、もしかしたら勉強が楽しいと感じる子も色々いるはずです(笑

「それをしていれば楽しい!」と、それが幸せであることを身をもって体験させてあげることが出来れば、「幸せとは何か」「自分にとって何が幸せであるか」というのをちゃんと知った大人に成長していくのかもしれません。

親としては「勉強が楽しい!」と思ってくれるに越したことはありませんが(苦笑


10代には10代の幸せがあって、40代には40代の幸せがある。

40代の幸せの価値観を10代の子に植え付けたって、その子は40代になっても苦しむだけなのかもしれません。

80代になっても、未だ50代の幸せが得られないと不満と愚痴の毎日だと面白くも何とも無いですからね。


30代には30代の幸せがあって、40代には40代になってからの幸せ。50代には50代の幸せ。

60..70..80..90代と、それぞれの年代に、それぞれの幸せが待っていることと思います。

そしてそれは、常に自分の「今」に照準を合わせて、自分は何が楽しいのかを感じながら日々過ごしていくことが出来たら、幸せは延々とリレーのごとく続いていく。


そんなことを感じました。


ほんわか

シッコの香り

  • 2012.11.15 Thursday
  • 11:59
いつも有り難う御座います。

昨日は三女の保育所一時預かり3日目、最終日でした。

1日目は何事もなく。

2日目は雷雨にまみれ。

3日目、やっと僕の任務も終了かと思っていた最終日、最後にえらい騒ぎになりました(苦笑


三女の保育所送り迎えと同時進行で、次女の幼稚園の送り迎えもしていたわけですが、最終日、みんなを無事に連れて帰ってきてホッとし、自宅の駐車場で遊ばせていました。

次女は幼稚園の制服のまま、飛んだり跳ねたりして遊んでいました。

すると突然、「パパァ・・・」と言って、モジモジしながらこっちに来ました。

「え?なに?どしたん?」

「おしっこ、もらしちゃった(モジモジ....」

「え!?」

足もとを見ると、モジモジしながら、ジョロ〜っと凄い勢いで靴下や靴がびしょびしょに(滝汗

僕は思わず、「えっ!?なんで!」と、口調を荒げ、「ちょっ、ちょっと、そのまま!動いたらアカンで!」と言って、制服を汚さないように何とかしようとバタバタと準備しました。

しかし、僕のその口調と対応に、次女はカチンッと来たのでしょう。

それから段々と表情がブスッと固くなり、「イヤ!イヤ!」と言って、佇みながら僕が処理しようとするのを抵抗してきます。

再び僕は、「え?なにぃ?おしっこ拭いて、綺麗にせなアカンでしょ!着替えるから制服汚れんように脱ぐから、ホラッゆっくりやで!」と、促します。

しかし、ひとたび機嫌に火がついた次女は、それすらもさせないように「イヤ!イヤ!」と言って、触らせないように抵抗します。

「いったい何なんや!」と言うボク。

こんなやり取りを、自宅玄関前で繰り返していました。

それでもなんとか強引に、ボクの体はシッコまみれになりまがら、嫌がる次女を抱えてお風呂場まで運びました。


お風呂場についてもなお、次女は抵抗を止めません。

「イヤ!イヤ!」

そう言って、何をどう促しても泣きわめいて抵抗するばかり。

しまいには「パパのブスッ!」と罵声を浴びながら、ボクもそれに対抗するように声を荒げて「早く!もう、何してんの!!」と捲し立てます。


30分くらいは御風呂場の中で格闘していたでしょうか。

最終的には、ちょっと可哀想でしたが、シャワーをそのまま彼女にかけて、嫌がる手を振り払って石鹸で体をゴシゴシ洗い、バァーッと流しました。

ボクは服のまま風呂場に入っていたので、服は彼女の抵抗のお陰でシッコまみれになるわ、シャワーが飛び散り、さらにびしょ濡れになるわで、えらい騒ぎでした。


しかし、洗い終わって服を着てからは、何事もなかったように、彼女はお姉ちゃんとピアノしたり、妹と遊んだりしていました。

子供って、ほんと面白いように、スパンッと雑念を断ち切りますね(苦笑

そんな彼女を見て、僕もホッと一息つきながら意気消沈しているところへ、妻が帰ってきました。


長女がすぐさま妻のもとにいって、僕と次女の今までのやり取り、出来事を詳細に報告していました。

そして、妻は次女に向かってポツリ・・・

「ネネちゃん、お漏らししても、いいんやで。」と。


僕は、「ハウァッ!」と気づかされました。


僕は仕事の合間をぬって、今回の送り迎えを実践していました。

この迎えが終わっても、また仕事場に戻って気持ちを切り替えなくてはなりません。

何か問題が起こると次に響きますから、できるだけ何事も起こらないようにと気にしていました。

そこに、おしっこ漏らしたとか言われると、「何でこんなときに!」と、まず自分の都合が頭をよぎるわけですね。

たぶんこれ、自分の娘だから余計に反応しちゃう。


他人のお子さんだったら、おそらく自分の都合云々の前に、淡々とその状況を処理していたと思うんです。

しかし、僕が次女に向けた目は、「あらあら、やっちゃったの。じゃぁ、変えよっか」ではなく、「なにやってんの!」ですからね。

その一言に、僕の内側は全て集約されているわけです。

鋭い子供は、それを全身で受け止めますから、もうパニックです。

だからなんとかイヤ!イヤ!と言って、何か得体の知れない大人のプレッシャーに抵抗するしか無かったんでしょうね。


所詮、僕の育児なんてこの程度だと、妻の一言に感謝させられる一日でした。。。

ここにも、病との向き合い方のヒントが隠れているように思いますね。


そんなことを思いながら、僕はシッコの香りを胸に、再び職場に向かいました。


親子

満たす

  • 2012.11.08 Thursday
  • 21:09
いつも有り難う御座います。

昔から腕相撲だけは自身がありましたが、相撲取りになって頸椎の神経を損傷してからは右手の握力が30以下しか出なくなり、本気でチカラを込めて腕相撲ができるのは、1日に1回まで。2回目からは腕全体がダラ〜ンとなってしまう山下です。(ちょっと長かった?、笑


うちの一番下の子は、まだ2歳です。

上のお姉ちゃんたちのお陰か、言葉と態度の発達は、かなーり生意気になりました(笑

上の子たちが大人しい幼児期だった分、一番下は男の子みたいにやんちゃで行動的。

今までの育児は、言い聞かせれば、素直にウンウンとついてきた。

でも、この一番下の子は、大人の誤魔化しの言葉なんざお見通しと言わんばかりに、我が道を行く。

思い通りにいかないことには、這いつくばってでも抵抗し、ワーワーキャンキャン・・・


親としては、こういうのがイライラしたりしますよね。

大事なときに、急にダダをこね出したり。

他の用事で話を聞かないといけないときに、横からギャーギャーワーワー。

「ちょっと待って!」「待ちなさいっ!」

そうやって制止しようとすればするほどに、エキサイティングに。。。


でもよくよく聞いてみると、何かを訴えている。


「ギャーギャー・・・アメアメ・・・ワーワー・・・アメちょうだい・・・」

「ギャンギャン・・・これこれ・・・ワーワー・・・これ取って」

「ギャオーギャオー・・・する・・あたし・・・ヒックヒック・・・あたしもする・・・」


アメをあげても、ものの10分もしたら、またアメと言ってくる。

「何個もいけません!」

虫歯になるからとか、肥満になるとか、お行儀が悪いからとか、、、
いろいろと理由があって、我慢をさせるんだけれども通用しない。


そこで、ちょっとこちらの都合を後回しにして、目の前の訴えにすべて耳を傾けてあげる。

アメならアメあげて。また言ってきたら、またあげる。

何個も何個も続けて言って来ようが、とことん付き合ってアメをあげ続ける。

そしたら、しまいには自分から「べぇ〜」とアメを出して、何個も食べるもんじゃないなって顔してる。


子供は一度覚えたことを、何回も繰り返す。

何度も何度も繰り返す。

「やって、やって」

そうやって何回も付き合わされる。そこが根比べ。

大人がいつも気にかかっていることとしては、「こちらにも都合ってもんがある」という気持ち。

そうやって根気よく付き合ってばかりもいられない。

でも、それでも、そこをあえて自分の都合は置いて、訴えに「付き合ってみる」


すると、訴えに付き合えば、付き合うほどに、いい子ちゃんになっていくようだ。。。

なんだか「思い」が満たされちゃって、もう十分ですってなるのかしらん?


そこでやっと、今度こそ、自分の時間が出来てきた。

もう引き戻すエネルギーが落ち着いたから、抵抗感を感じない。

晴れて自由だ。

子供の満足した顔を見て、自分も穏やかになり、集中力が増した感じがする。


この感じが大切なのかもしれませんね。

自分が満たされるためには、まずは相手を満たすこと。

これでもかってくらい、とことん付き合って、満たすお手伝いをする。

それが完了したら、今度はその分だけ、自分に返ってくる。

このバランスで成り立っているんでしょうね。


そう考えると、耳鳴りや何かの症状も、我が子の泣き声であり、訴えでありと感じてあげれば、見ないように、聞かないようにとフタをするよりも、ここは根比べとばかりに、とことん付き合ってみると、案外その後の自分は安らいでいるかもしれませんよ。

満たす

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