個性

  • 2013.02.26 Tuesday
  • 20:03
いつも有り難うございます。

まだまだ寒い日が続きますね。カモノハシペリーな山下です。


うちの長女が通う小学校から、あるアンケート用紙が来ていました。

担任の先生やその他の授業を受け持つ先生の名前が書いてあって、色んなチェック項目が並べられてありました。

つまり、「教え方はどうですか?」とか「先生の教える態度はどうですか?」とか、参観日や子供から聞いた状況を照らして合わせて、先生の評価をして下さいというようなアンケートでした。

しかもそのアンケート用紙の下の方を見ると、ご丁寧にもちゃんと長女の名前が印字されておりました。

これで正直に書けとな?(苦笑


そう言えば、学校からのお知らせの中に「子供達の個性を伸ばし、生きる力を育んでいく」みたいなことが書いてあって、ちょっと僕なりに思うことがありました。


そう、それは「個性」


個性って、もしかしたら、既にその存在そのものが個性なんじゃないかなと思ったわけです。

3人の娘達を見ていても、それは「明らかに」別々の人間(人格・人生)だと思うからです。

同じ親、同じ言語、同じ親心、3人とも同じように一緒に暮らして来たはずですが、3人ともまるで性格が違いますもん(笑


いつかの記事で、存在の全ては1つのものから立ち現れて来たのではないかと書きました。だから、根っこではみんな同じ。

そして今現在も、地球や宇宙の物質をそれぞれに共有しながら人は生きていますから、みんなつながっているのだと。本当は別々ではないのだと。


しかし、根源的なものや本質的な事は普遍でつながりあっているとしても、それでも存在の全てを「あえて」別物であるように生み出しているのが、この世界ではないかと思うわけです。

人という存在がコピーロボットのように同じであるならば、ちょっとした違いを見つけて、それを際立たせるように種分けし、引き延ばしていくことが大切かもしれません。

けど、同じ人間など一人としていないわけですから、もう人として生まれた時点でそれは「個性」なんだと思うのです。

だから個性を伸ばすもなにも、既にちゃんと分かれているやんって話しですよ。


じゃあ何が子供達には必要か、あるいは生命の目的は何を私たちに求めているのか。


それは自分の体を見ていれば分かるような気がします。

つまり、体の個々の部位は、それぞれのために活動し、命をつないでいますよね。


心臓は心臓自身のために動いているわけではなくて、血液をカラダ全体に行き渡らせるためですよね。

肺は肺のためではなく、豊富な酸素を血液にあげるため。

足は上体を支え、手は痛いところを撫でてくれる。目は・・・耳は・・・口は・・・脳は・・・


それぞれは「個」自体のために活動しているわけではなく、「個」以外のもののために動き、その活動が結局「個」に返ってきて「個」は生かされている。


そう考えると、すでに個性を持って生まれてきているこの子たちに求められるのは、決して自分の個性をより際立たせるために生きることではなく、自分の周りのつながり、人とのつながりの中で「相手を知る」ということに尽くしていくことではないかと思うのです。


相手を知るということは、「相手の考え方を理解する。理解につとめる」ということなのかもしれません。

そうやって相手を知ることによって、自分を知っていく、自分のことが分かっていくのではないかと思います。

想像してみてください。

逆にもし、自分のことしか考えない人だった場合を。ヤな感じでしょ?(笑


なので、相手のことを理解しようと心がけるということは、相手の立場を認める(受け入れる)ということでもある気がします。


そう、「認める・受け入れる」

人は受け入れられ、認められることによって成長していきますよね。

自分が認められることによって、相手にも優しくできる。

相手のために尽くそうとがんばれる。

それが再び、相手を認める姿勢を維持していくことにつながり、この循環がまわり全体を円滑に動かしていくのではないでしょうか。


認め、受け入れるからには「決して嫌なことにもYESと言え。NOと言ってはいけない」ということではありません。

相手の考え、存在を認め受け入れることによって、自分自身の立ち位置を知る事が出来るということです。

「こういう考え方もあるんだ」と認めることによって、自分の考えが明確になり、自分はどこに行けばよいのか、何をすればよいのかが分かってくるということだと思うのです。


だから、自分の個性なんか気にするなと子供には言ってあげたいですね。

それよりも、自分の周りのお友達の考え方によく耳を傾けて、何を言っているかをしっかりと聞いてごらん、と。

そしたら自然と、自分のやることも見えてくるでしょ。


そんなことを感じました。

子供達

【追記】

いつもお世話になっているT社長から、この記事に関してとても大切なコメントを下さいましたので、以下に転載致します。(以下、T社長のコメント)

相手のことを知る、受け入れる。それは大事ですね。自分の個性を気にしないで自然に生きていく、これも大事。

ただ、気になるのが最近の教育現場で聞く話。個性を目立たせないようにしているとか何とか。たとえば、かけっこは競争ではなく、みんなで一緒にゴールインだとか、劇はみんな主役とか。えええ?と思うのが多すぎません?
私のような聴覚障害者なんかも、幼い頃に失聴した子供の場合は聞こえる子供と同じように見えるように、発語、読話の練習をさせられて。とにかく「普通」の子供のように振る舞えるように、ということを強要さ
れます。うちの父親でも未だにそうですし。「聞こえないことも個性」という考え方とはほど遠い人なんですよね。手話使うのもいやがりますから。

だから、個性を「気にしないでいい」というよりは、「卑下しなくても良いんだよ」と言ってやりたいですね。かけっこが遅いから気にするのではなく、かけっこが遅くても、君にはこんなすばらしいところがあるんだよ、と。

山下先生のおっしゃっている言葉間違いだというのではなく、私ならこういう言い方をしたいというコメントです。おっしゃりたいことには共感しますし、その通りだと思います。表現の違いですね。はい。



言葉は慎重に選ぶことが大切ですよね。「気にしなくていい」というより「卑下しなくていいんだよ」というのは、その子の状況を汲み取りつつ、次のステップへと向かわせる励みになりますね。とても暖かい言葉に感じました。

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