4割で守り、6割で守られている

  • 2012.10.29 Monday
  • 10:19
いつも有り難う御座います。

イクメン・セラピストの山下です(あんまり自分で言うもんじゃないですね、苦笑


大阪の昨夜は、結構なカミナリが鳴り響きました。

夕方頃、子供達を公園で遊ばせていると警察の人が寄ってきて「7才と3才のフィリピンの兄弟がいなくなったのですが、このあたりで見かけませんでしたか?」ということでした。

もう日が沈みかけている頃でした。その後、帰り道でも気をつけて見ていましたが、それらしき子供はいませんでした。

そのあとから雷が鳴り出したのですが、雨に濡れず無事に保護されていればよいのですが。本当に気になります。


さて、「立場が人を作る」とよく言われますが、男性の場合は仕事の昇進を機会に、どんどん目線が変わってくることもありますね。

女性の場合は、結婚や出産を機会に、人生の視界は広がっていきますね。


「立場が人を作る」の反対側として、実は「立場によって我が出てくる」というのもあります。

出世したり、リーダーになったり、社長になったり、一家の大黒柱になったりすることで、あろうことか、周りの人の意見を聞かなくなったりすることがあるわけですね。

「自分が」「私が」「オレ様が」と、こうなるわけです。

悲しいかな、こうなると次第に意見されることが少なくなってくるわけですね。あの人に言っても頭から否定されるだけだし・・・と、周りの人も本気で付き合えなくなってきてしまいます。

自分のところに真実の声が集まらなくなると、だんだんと視界は狭くなり、「あいつはダメな奴だ」「何もわかっちゃいない」と悪いことしか見えなくなってしまいます。

本当に見えていないのは、自分の方なのにね。


さて、女性の方は如何でしょう。

女性の場合は「出産」が結構な分岐点でしょうか


よく旦那さんの愚痴が聞かれることがありますよね。

「子供産まれてから、なーんか、サッパリなんだよ」って(苦笑

女性は子供を産むことで、母性が芽生え、「守り」に入りますね。


人間の中から人間が現れてくるんですから、物凄いことです。

「この子を守らなきゃ」って思いは、男性よりも遙かに強くなることは想像に難くないですね。

母性が強いママさんほど、もしかしたら「子供のために」って行為行動が盛んかもしれません。

小さいうちは何とかなりますが、だんだん大きくなると、もう守りきれなくなってくるわけです。

あっちに目を光らせ、こっちに目を光らせ、そのうち限界が来るわけです。


限界が来るということは、そう、「撃沈」しかないわけです。


育児に疲れ、いったい何をどうしたら良いのか、頭がこんがらがって自分の感情まで抑えられなくなったりもします。

時には子供のせがむ声を聞くだけで、涙が出てくることもあるかもしれません。


そんな育児疲れのママさんは、もしかしたら守りすぎていたことに、気づく機会にさしかかっているのかも知れません。

つらいツワリを経験し、痛い思いをしてやっとのこと授かったこの子。

だからこそ、「私が守らなきゃ」と、ちょっと力が入りすぎたのかもしれません。


しかし、忘れてならないのは「授かった」ということなのかもしれません。

決して一人では立ち現れることのない生命。


「私がここまで必死に守ってきたからこそ、ここまで事故無く無事に育った」

そう、それも確かなことでしょう。

でも、守っても守っても守りきれることがない。それはあなたも周知の事実でしょう。


それでも何とかここまで育ってきた我が子。何故でしょう?

何がここまで命を繋いでくれているのでしょう。


もしかしたら、半分以上は「守られている」何かがあるのかもしれません。

だから「授かった」


あなたが今こうして生きて自分の人生を歩んでいるように、生まれてきた子供も、すでに自分の目的と使命を持って今を生きているのかもしれません。

そう、我が子でありながら、すでに1人の人間として、あなたとは違う新たな人生を歩んでいる。


あなたは自分自身に気を遣わなくても、今を生きている。何かに守られながら。

ならば、我が子も同じように「何かに守られている」。私と同じものに守られていると感じてみては如何でしょう。

「なるように、なる。だから守ることを手放せ」とは言いません。

今まで通りでいいので、「4割の全力」だと思ってみては如何でしょう。
どんなに頑張っても、実は4割だよって。

そして、残りの6割が、「あなたを守っているものと同じ力で、子供も守られている」ということを思い出して頂けたらと思うのです。

それを思い出すだけです。


思い出すだけで、きっと肩の力も抜けてきますよ。


※子供は親の奮闘つゆ知らず・・・何かに見守られながら全力で遊んでおります(笑
遊び


えっ? 男性の出てきた「我」は、どうやって引っ込めるか、ですって?

やっぱ、ガチンッ!と頭からぶつかるのが一番ですよ(苦笑

不滅の意識

  • 2012.10.15 Monday
  • 14:31
いつも有り難う御座います。

引越ビンボーとは私のこと。山下です。

結婚して11年目なのですが、実はこの10年の間に6つの物件と5回の引越を経験しています。

そう、私たち家族は引越と物件探しのスペシャリスト。まさに、引越ビンボーの憧れの的でもあります、はい。

6畳一間から、アパート、マンション、戸建て、色々住んできました。唯一まだ経験していないのは、分譲賃貸でしょうか。ここまで来ると、もうプロ顔負けの目利きになります。

物件探しで何かお困りのことがあれば、是非ご相談下さい!(って、なんのこっちゃ、汗


さて、「可愛い子供には旅をさせよ」とは昔からよく言います。

苦難に遭わないように大事に大事に箱入り娘で育てるよりも、苦楽をたくさん体験することによって、立派でたくましい大人に成長して欲しいという思いが込められているんですよね。

僕はこの「成長」を「心の成長」と捉えています。

身体能力や勉学など、伸ばせるところは沢山あると思います。

ただ、心の部分って、自分に一番近い存在なのではないかと思うんです。


勉強をやるにも、まず気持ちありき。

運動やるにも、やっぱり気持ちありき。

そして、勉強や運動、自分の活動に行き詰まったときも、何を思い、何を感じるかは、心の在り方で右にも左にも振れていく。

心は自分に一番近い存在だからこそ、まずはそこからではないかと思うわけです。


そして「体験」は、何かを与えなくても、何かを準備しなくても、学校生活でたくさんのお友達とすったもんだしていく中で、自動的に得られていくと思います。ただ生きているだけで体験はやって来る。

そんな生活の中で「ヘルプ」を求められたとき、親として「教えてあげられること」、心の部分を教えてあげられればと思っているわけです。

と言っても、なにも難しいことを持ち合わせているわけではありません。


それは、解決策を提示するよりも、そこから何を思い、受け止めていくか。

方法論でうやむやにしてしまうのではなく、来たる問題とじっくり向き合ってみて、「なんで?」と投げかけてみるだけにしています。

「なんで私はこんなに怒っているんだろう」
「なんで私はこんなに悲しむのだろう」
「なんで私はこんなにイライラするのだろう」

そこに目を向けてみることを教えてあげる。


冷静に自分の気持ちを分析していると、次第に怒っていたことも冷めてくる。

恐れていたことも、怖く無くなる。

イライラも悲しみも、不都合も、なんとなく「まっ、いっか」という感じに見られるようになってくる。

それだけで問題は解決されてゆく。

子供のうちからそれを知っているだけで、物凄い強さに変わるのではないかと思うのです。


前にこんな事がありました。

長女が「耳鳴りがする」と言ってヘルプしてきました。
まだ小1か幼稚園の年長のときだったと思います。

最初、耳で変な音がずっと聞こえると言っていたときは、とくに何とかして欲しいという素振りも無かったので、僕はそのまま放っておきました。

それから2週間くらい経って、「ずっとしてるねん。何かできるの?治せるの?」と言ってきたので、そこでやっと僕も対応しました。

何をしたか?

こんなことをしました。(以下、そのときの会話・・・)


僕「じゃあ、耳鳴りのミーちゃんと挨拶しましょ」
僕「ミーちゃん、こんにちわー。はい、あなたも挨拶して、ホレっ」

長女「ミーちゃん、こんにちわー・・・(ウフフ」

僕「ミーちゃん、何してるのー??? ホレ、聞いてあげて」

長女「ミーちゃん、何してるのー??(エヘヘ」

僕「遊びに来たんだー、よろしくね」(僕が声を変えて挨拶

長女「よろしくねー(ウフフ」


僕「楽しいなったら楽しいな♪楽しいなったら楽しいな♪」(変声で

長女「楽しいなったら楽しいな♪楽しいなったら楽しいな♪」

僕「嬉しいなったら嬉しいな♪嬉しいなったら嬉しいな♪」(変声で

長女「嬉しいなったら嬉しいな♪嬉しいなったら嬉しいな♪」


僕「また遊びに来たときはよろしくね。また遊んでね。ありがとー」(変声で

長女「ありがとー。ミーちゃん」

僕「もう帰るね。またね。ありがとね。バイバーイ」(変声で

長女「ありがとー。バイバーイ(ウフフ」


そうやって色々耳鳴りと会話していると、だんだんと小さくなっていき、そのうち消えていきました。

こんなこと、うちに来られる患者さんにやってたら「バカにするなー!」って怒られますからやりませんけど。。。

でも、これが全てなんですね。本質的なことを言うと。


なにも怖がる必要は無い。


普通だったら、自分の子供が耳鳴りがずっと続いていると言って来たら、親としては動揺してすぐに耳鼻科でしょう。

そして「こんなに小さいのに可哀想に・・・もう治らないよ」なんて言われたりすると、その子の将来はガーン!で、一生自分の耳を否定し、悲観し、責め続けることになるかもしれません。


でも、いま起こっていることには全てのつながりがあると考えれば、それだけ見て判断していても仕方がないってことがわかってくる。

全ての現象には、自分の人生のスパイスなんだって思えると、こんなに若くして早くも味わえて凄いね、おめでとー!って感じに思えてきてしまう。

親が怖がらずに耳鳴りと一緒にいてくれると、子供もそれだけで安心してくる。

親の不安が子供に伝染しますからね。

どっしりとしていれば、子供も「大丈夫なんだ」と受け取ってくれる。


その後も「あれからミーちゃん、遊びに来てる?」と質問すると、「うん、この前また来た。挨拶してありがとうって言ってたら帰って行った」といったことが何度かありました。

最近は言わなくなったので、ミーちゃんは遊びには来ていないようですね(笑


全ての問題は恐れと共にやってくる。

そのとき、恐れをつかんでしまうと、恐れはどんどんと力を付けていく。

いかに問題を直視し、その正体を見つめるか。

何歳になっても心で生きている人間である限り、あらゆる生活の中で、不滅の意識を養うことが人生の醍醐味なのかなぁ、と思うわけです。


いつもお越し頂くお客様から、立山のお土産を頂きました〜
お土産のクッキー

子供達がハイエナのように群がったあと、唯一残された二切れを噛みしめながら頂いております。有り難う御座います〜


今がベスト

  • 2012.10.09 Tuesday
  • 15:23
いつも有り難う御座います。

一昨日の日曜日に次女が通う幼稚園の運動会がありました。

その前日にはイキイキライフ通信を配信したのですが、そこで「お天気が心配だぁ」とつぶやいたら、多くの方から「大丈夫。晴れますよ」というメッセージを頂きました。

お陰様で当日は快晴。チョー運動会日和となりました。有り難う御座いました。


次女のことで思い出したのですが、彼女は三姉妹の中でもなかなかの曲者です(笑

外ヅラと内ヅラでは全く違った存在です。

外では「非常におとなしい子」で通っているようです。

たしかに幼稚園で笑っているところを見たことがありません。
お友達と手を繋いでルンルン♪なんてしません。

うちの妻が迎えに行ったときも、ブスッとした顔でサッカーゴールの網を触るでもなく引っ張るでもなく・・・何かボーッとしてるのを見たとか。

砂場では他の子が一生懸命にスコップを使って何かを作ろうとしている横で、ブスッとした顔でヤンキー座りし、スコップを人差し指と親指で摘むようにして持ち、やる気なさそーに砂を払っていたそうです。

一昨日の運動会も、周りの子はダンス用のウチワを持って全身で踊っていましたが、彼女だけは手首だけ動かしている感じでした。これが中学生とかでしたら、完全にヤンキーの部類でしょうね(苦笑

そんな彼女も家では別人となり、歌って踊って沢山ケンカもするおてんば女の子。

親心としては、もうちょっとお友達と楽しく遊んでくれたらなー、なんて思いますが、彼女には色々と教えられることも多いので、両親そろってじっと我慢をしております。

と言うのも、次女がしっかり幼稚園に通い出したのは年中からなんですね。

年少の時に一度入園したのですが、凄い抵抗されて連れて行くのも大変でした。

朝からワンワン泣いて、手を引っ張っても凄い力で抵抗する。これが数日程度なら、そのうち観念するだろうと思うのですが、なんと1ヶ月間ずっとその調子で、とうとう彼女は痩せこけてきたので、こちらがギブアップしたというわけです。

もう一年家で見ようということになり、退園。

妻も心を改め、一年間はこれでもかってくらい、べったりと育児しました。

そして今年の春、もう一度、年中から入園したのですが、抵抗はそれほどなくスムーズに通うようになりました。まだ一度も休んだことはありません。

園生活を見ると、楽しいんだか楽しく無いんだかハラハラさせられますが、今となっては、あのとき幼稚園を一度退園して良かったと思っています。

理由は色々ありますが、とにかく「良かった」と。

当初は「なんでこんなにも行きたがらないんだろう」と夫婦で毎晩話していましたが、その意味も今だからこそよくわかることが沢山あるというわけです。

こういうことって、私たちの身に降りかかる様々な問題や悩みも、あとになって「あの経験があったからこそ」ってのが、少なからず理解したことがある人もいらっしゃることと思います。

どんなに今がつらくても、必ずそれは良い転機のエネルギーを含んだ出来事だ、と思ってみてはいかがでしょう。

物事は常にベストな状態として「今」という時を刻んでいるのだなあと感じてみましょう。


※次女も、かけっこだけは僕が見たことも無い表情で真剣に走っていたので、感動しました★
運動会

ブラックボックスを開ける

  • 2012.10.01 Monday
  • 12:38
いつも有り難う御座います。
おとぼけセラピスト、山下です。

昨日は長女が通う小学校の運動会開催日だったのですが、台風の影響で延期となりました。近畿四国地方ではそういった学校が多かったでしょうね。

振り替えの開催日は平日だそうで、見に行くことが出来ません。。。


運動会でふと思い出したのですが、娘が小学校に通い出して運動会というものを久しぶりに見学したとき、「なんか寂しい運動会だな〜。。。」と感じてしまいました。

ある方の話しでは、騎馬戦は怪我をするから危ないということで廃止になっている学校があったり、あるところでは、駆けっこでは順位を付けずに、ただ走るだけの学校もあるそうな。白組・赤組の採点が無かったり。。。


教育現場の方も、試行錯誤で本当に大変だなと思います。

それが現れてか、うちに来られる方も教職者の方が非常に多いです。

上からは制限をかけられ、保護者からは個別の対応を求められ、板挟みです。真面目に結果を出そうと頑張っている先生ほど、とてもとても苦しい状況に追い詰められているかもしれません。


組織としては、出来るだけ問題が起こらないような仕組みを構築したい。

でも実際には「規律と問題」「秩序と破壊」これらは表裏一体だから、二つで一つ。


できるだけ問題が起こらないように起こらないようにと、抑え込めば抑え込むほどに、内側では問題のエネルギーがどんどん膨らんでいきます。

そして、これこそが自然の摂理だと言わんばかりに、あるときにポンッとひっくり返るときがやってきます。


なぜそんなことが起こるのでしょう。

問題が起こらないようにと尽力しているにも関わらず、余計にムチャクチャになってしまう。


もしかしたら、いつも「それ」を見過ぎているから、逆転現象が起こりやすくなるのかも知れませんね。


規則や規律、秩序とはこうあるべきものだ、を定めて行くためには、問題や歪み、壊れゆく様が前提にならないことには図りようが無くなるというわけです。

だから正しいことを求めるほどに、正しくないこととは何か?という裏側も見ようとしてしまうんですよね。その問題に対する渇望がエネルギーとなり、現実を生み出してしまう。

本来の目的とは裏腹に、そうなっちゃうから皆さん頭を抱えるところだと思います。


家庭内での育児と同様、学校という世界でも、社会の一歩前の段階として沢山の失敗が学べる場所になればいいなあと思います。行き過ぎた行為行動だけ手をさしのべる、みたいな。

汚いことをブラックボックス化するよりも、どんどんオープンにして子供達で議論させると変化も早いかもしれませんね。大人だけで何とかしようとするから、訳がわからなくなるのかも知れません。

いじめられっ子だけでなく、いじめっ子の心の闇に対しても光を当ててみて、みんなで考えてみるのも陰と陽、両方を見つめることに繋がるでしょうね。

それを実施しているところもあるでしょうけれど、今はまだ少なすぎるのかもしれません。

これが沢山増えるときは、たぶん社会全体がひっくり返るときなんでしょうね。自然の摂理に基づいて。


柿田川
柿田川

ご利用者さんが「壁紙にどうぞ」って、毎月1日に渾身の1枚を送って下さいます。今月はこれ。癒されますね〜

父親としてのもう一つのお仕事

  • 2012.09.24 Monday
  • 12:28
朝は凄く肌寒くなってきました。

蛇口からでる水がなんだか冷たいです。ヒヤッとします(冷ッ


休み明けです。そうです。育児ネタです(笑


でも今回はちょっと角度を変えて、「父親の役割」を見つめてみたいと思います。

家庭の中での父親の役割。

僕は小さいときに親が離婚して母子家庭で育ちました。
こういった家庭環境のことは、今の時代だからこそオープンに出来る事なのかも知れません。

当時はまだ「バツ1」という言葉もないですし、僕の周りで母子家庭の子っていなかったように思います。母親も病弱で、実際には祖母に育てられたようなもんです。

そんな僕が子を持つ父親として何が出来るか?

何もできません。これで良いのかどうかなんて、知るよしもありません。

ただ唯一、お婆ちゃんには色々反対されながらも、結構好き勝手やっていたように思います。

母親は超がつくほどの生真面目な性分ですから、母親が元気なときは教育ママ的に頑張ろうとしていたことを思い出します。しかし、病弱だったために、僕に手をかけることが出来なかったのでしょう。

お陰で僕は、やりたい放題です(苦笑

だから僕は幸せでした。

無知だった頃は、親のせいにしたり社会のせいにしたり、何かと自分以外のもののせいにすることで、自分の正当性を必死に守っていたように思います。

でもそういったことの多くは、実は、自分の中にこそ問題が隠れていることを知ることが出来たし、それを素直に認めることも少しずつ出来てきた。

だから、今はそれで良かった。そういう家庭環境に生まれて良かった。

あのお婆ちゃんで良かった。病弱な母親で良かった。

父親はいても良かったけど、いない現実も受け止められた。

すべてやりたい放題だったからこそ、悔いなく生きて来れたのかな、と。


だから自分の子供にも「やりたい放題で、どうぞ」ってな感じしか伝えることが出来ないんですよね(汗


あっ、長女が通った幼稚園(真生幼稚園)も、そんな僕にとっては素晴らしいところでした。

園長先生が一本筋が通っていて、「義務教育になれば、否が応でも枠の中に押し込められた生活になります。だから今だけでも自由に、やりたいようにさせる。遊びもこちらが準備するのではなく、自分で作り出す」みたいな園でした。

周りはお受験幼稚園だらけなのですが、なぜかそこだけは制服もなければ、いつも泥だらけで帰ってきます。制服を着てたら遊べないからですね。


話が脱線しましたが、そんな僕という父親でも、役割があることにも気づきました。

それは、妻に耳を傾けるということです。


父親の分際で子育てといっても、一番接しているのはやっぱり奥さんなんですよね。
偉そうに「育児とは」なんて言ってたら怒られます。


そこで父親として出来ることは、いつも妻のウップンの聞き役に徹することではないかと。

24時間365日主婦業をこなしている奥さんは、なんだかんだ癒しの言葉を投げかけようとも、それにも勝るストレスで一杯です。

自分で処理することの出来ない沢山の思いが胸に詰まっているようです。


亭主としては、仕事から疲れて帰ってきて、それでも嫁さんの愚痴に付き合わなくてはならないのかと思うとウンザリだーと感じる人もいるかもしれません。

でも、ずっと子供としか会話していなかったり、寝る間も切り詰めて炊事洗濯家事をしているのも相当たいへんだろうなと思うわけです。


たから、仕事終えて帰ってきても、まだ1日の仕事が終わったわけではありません。

聞きます。

妻のウップンから目をそらさずに、聞き続けるわけです(苦笑


「ふんふん、そうか」「ほぉー」「ふへー」

たまに、まぶたが重くのしかかってきて「聞いてんのーっ!!」と言われてしまいますが、「はいっ!」てな感じで、最後の最後まで父親としての仕事を全うします。


すると、眉間にしわが集まっていた奥さんも、いつのまにか眉毛が垂れ下がり、口元から笑みがこぼれます。今日一日のストレスが吐き出された瞬間ですね。

それを確認して僕も一日の仕事がようやく終わります。


嫁さんがストレスを抱えたままだと、それはダイレクトに子供に向かうのかも知れません。

父親として子供には何もしてあげられないけれど、唯一、嫁さんを通して父親の存在が光るのかも知れません。


休日は家族サービス、子供サービスというよりは、実際には嫁さんが喜ぶことを探して休日を過ごすことがいいのかもしれません。

喜んでいる母親を見て子供も安心しますからね。


※西宮ガーデンズにて
ショッピングセンターにて

一日じゃ回りきれないっすね〜


イライラ子育てを楽にする考え方

  • 2012.09.18 Tuesday
  • 12:39
どうもです。

休み明けは育児ネタの配信が定例となりそうな予感がしている山下です。

自家用車を手放して、もう3、4年になるでしょうか。
鬼のようにアメ車にお金をかけてブイブイ言わしてた頃もありました(苦笑

それが今や、ノーマイカーです。

電車に乗るのが嫌いで、バイクか車が当たり前でした。

それが今や、電車が愛おしくてたまりません。
時間通りに目的地に着くし、本もゆっくり読めます。

休日はもっぱら皆で電車移動かレンタカーです。


さて、育児をしているママさんは、キャンキャン怒ってしまうことが
大変多いかと思います。

私って、こんなに怒りっぽかったっけ?
と思ってしまうほど、子供の落ち着きのなさ、ママー、ママーという訴えに
なぜかフラストレーションが溜まり、いつもイライラしてしまっている方も多いと思います。

たまにニュースになります。あのお母さんが子供の命に手をかけるなんて!
端から見たら酷い親だと思うかも知れません。

でも育児に奮闘している母親なら、「一杯一杯になって、どうしたら良いのか
わからなくなったのかなぁ」と、慈悲の念で見られる方もいらっしゃることと思います。


なぜ育児にはイライラがつきものなのでしょう。

なぜ、子供を育てるということは、こんなにもフラストレーションが溜まるのでしょう。

それはもしかしたら、子供の存在は「あなた自身の価値観」を壊しに、この世にやってきているからなのかも知れません。


人間は大なり小なり「自分が正しい」という価値観を握りしめています。

それが悪いわけではありません。

でももっと突っ込んで言うと、物事には「良いも悪いも無い」のが本質であったりします。

ですから「私が正しい」という思いを強く握りしめていると、人生を歩む中で抵抗勢力にぶつかる機会が大変多くなります。

なぜなら、全ての物事は相対的だからです。自分が正しいというポジションに立つことによって、そうじゃない世界が必要になるのです。

光の存在がわかるためには、影の存在が必要なのと同じです。
女であるためには、男の存在によって区別がつきます。

私は間違っていないと言えば、間違った対象が自ずと現れてしまうというわけです。


子供を育てる上では「親として正しいことを教える。しつける」と張り切ってしまうと、実は裏側では正しくないと思わせるような現象を際立たせ、目について仕方が無くなってしまうというわけです。

そして沢山の怒りのスイッチを抱えることになり、子供のちょっとした表現に敏感になり、パチパチと怒りをオンにしてしまうのかもしれません。

ですからそんなときは、「子供は私の固定観念を打ち壊しに来てくれたのかも知れない」そう思って向き合ってみると、少し肩の力が抜けてきますよ。

何が良いとか悪いとか、何が正しいとか間違っているといった事ではなく、どちらも良くて、どちらも間違いではないことを子供が私に教えてくれているんかな、と。

私のギュウギュウ詰めな固定観念を打ち壊して、私を楽にするために、子供なりに教えてくれているのかな、と。


※休日は箕面川のほとりにあるお食事処で夕飯を食べました。
箕面川
めっちゃ雰囲気があって最高のスポットです。蚊に刺されまくるのが難点ですが、虫が気にならない人にはお勧めです。

子育つ論

  • 2012.09.10 Monday
  • 09:36
休日は常に家族と一緒に過ごしています。長女が生まれてから9年間は、これがいつもの過ごし方になっています。

自分の遊び目的で一日中お出かけしたのって、いつだっただろう。。。もう忘れました。子供ができると、子供中心の生活になりますね。

でもこれは、僕がそうしたいからしているわけであって、休日は子供を置いて自分だけ遊びに行くってのが良くない行為だと言いたいわけではありません。子供なんて、どこにいても自分で勝手に遊びを作るものですからね。

うちには3人の娘がいますが、同じように育てていても、3人とも性格や感性が違って成長していきます。

ここで一般的には「子供は育てたように育つ」と言われていますね。

でも実際には、こうして子育てを体験してみたり、いろんなところから「私の子供はもう20歳にもなって、未だに整理整頓が出来なくて毎日怒鳴り続けているわ」なんて話しを聞いて感じたことを、耳鳴り地蔵の覚醒メッセージで以下の言霊を書きました。

「子供は育てたように育つのではなく、育つように育つ。言い聞かせるのではなく、示す。怒鳴るのではなく、見守る。育児は子と親が自立を学ぶ時期なのだ」

自分が子供だったとき、そして自分が親になって子供と向き合うとき、それぞれのポジションを通して「基本的に、子供は育つようにできている」つまり、「育たない子供はいない」ということを実感しています。

だから、「育てよう」としなくていいんだな、と。もう一言付け加えると「ちゃんと育てよう」としなくていいんだな、と。

「ちゃんと」と言うのは、世間に出てもそそのないようにという親心が込められていますよね。だから整理整頓が出来ないと「ちゃんと片付けなさいっ!」と言い聞かせたくなっちゃうんですよね。

育児に頑張っているママさんほど、我が子の自由奔放ぶりにキーッとなっちゃうことも多いかと思います。でもそれだと、自分の思い通りに行かないことは「怒る・怒鳴る」ということを学習するのかもしれません。

そんな肩に力が入りすぎているママさんは、是非とも「子供は育つように育つ」という考え方で力を抜いて頂けたらと思います。

育児の本質は、「一人で生きていける力」を養うことなのかも知れません。それは、親の前だけ「ちゃんとする」ことを実践するということではないのかもしれません。

子供の時期にしか失敗できないことが沢山ありますね。でもその失敗は、自分で体験することでしか真から理解することが出来ません。

相手の傷ついた気持ちがわかるのは、相手を傷つけ、そして自分も傷つけられることでやっと骨身にしみてくることと思います。

僕も本心では、この先娘がイジメられたり、あるいは物凄い不良になったらどうしよう、、、なんて不安はあります。でも自分の子供時代を振り返ってみても、私の生きる道は誰にも止められないのだ、と。

だから親としては、せめて「示す」「答える」「見守る」くらいしか出来ないなぁ、と。

そしてそれは、親が子供から自立する学びの時期でもあるんだな、と。だから子育てはよく「子供に教えられることが多い」って言いますもんね。

すべては一人で生きる力を養うためにと思って、ね。

そして子供は独り立ちしたときに思い出すんです。「そう言えば、お父さん、お母さん、こういうときは、こうしてたな」って。そこで親の有り難み、自分が守られていたことの有り難みを実感します。

親としては今いっしょにいるときに有り難みをわかってもらおうとするよりも、独り立ちしたときにでもわかってくれたらいいわ、くらいにやっていけば良いんではないですかね。


(箕面の川遊びにて)
川遊び


※男の子の育児は2倍も3倍も大変なのは重々承知でございます。
 なぜなら、僕も昔は聞き分けのないヤンチャすぎる男児でしたから(苦笑

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

運営サイト

耳鳴りやすらぐ読む薬

耳鳴り克服診断


ツイッター

ログピ

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM